満たされなかったニーズ
自分自身の幼少期を振り返ってみると・・・。
私の生まれ育った環境では、ほぼ自分自身のニーズは通ることはありませんでした。
それが、まさか大人になって(正確には結婚して)こんなにも生き辛さを感じる原因となっているとは思いもしませんでした。
ほぼ・・・なので、まったくニーズが通らなかったわけでは無かったとは思いますが、通らなかった記憶の方が強く鮮明に残っていて、しかも祖母と母のダブルでしたし、更に舅姑との同居だったので、祖父母から両親への圧力を目の当たりにして育ってきたので、その周囲の空気も敏感に捉えて育ってきました。
私は、すぐに祖母の手で育てられるようになった為、母は母乳もまともにあげれなかったらしく(後で母から話を聞きました)母は母乳が出るのに、祖母がミルクを作って私を取り上げてしまい、娘を奪われた状態になり、こんなことなら、早く次の子供が欲しいと思ったということで、すぐ年子で弟が生まれました。
なので、私はなぜか自分が女性であるのに、母乳というものに強く憧れのような、なんとも恋しい感覚を持っていました。自分のインナーチャイルドが癒されていくと、その気持ちも不思議と消えて行きました。
物心ついた時にはもう祖父母と共に寝ていましたので、私は下の部屋で、弟たちは二階の部屋で寝ていました。
たまに「私も二階で両親と一緒に寝たいな」と思う事もありましたが、そのうち、「私はきっと両親の子ではなく祖父母の子だから、別なんだ」と悲しい気持になったことを覚えています。
母もしつけに厳しい人で、子供のわがままは許さない教育方針でした。
ただ、そこには「愛」もあったこともなんとか伝わる感じではあったので、虐待さながらだったかもしれないですが、まぁまだ理解はできます。
私は母だけでなく、幼少期に祖母の影響下で育てられていましたので、それが歪んだ信念体系を構築してしまったのは確かです。
覚えているのは、とにかく寝る時にすごく言い返したいのに一方的に怒られた何かで、何度かくやしい気持ちで、あまりに悔しくて、情けなくて鳴き声さえも飲み込みながら、涙を流し布団にもぐっていた記憶です。
そうした涙で布団を濡らしながら、けれども鳴き声は押し殺しながら眠りにつくということは度々何度か経験しています。
自分のニーズを伝えると怒られた記憶があります。
その影響もあり、幼稚園の頃はほとんど声を発しない子だったという風に記憶しています。
とにかく、自分を表現して声をだして他者に伝えるということが潜在意識の中で恐怖として植え付けられ、そのように現れていました。
そして、祖母はまるで子供のようにわがままで、気分屋でした。そのうえ毒祖母要素を大いに含んでいる人格で、エゴの塊でした^^;
なので、機嫌が悪くなると、無視するということもしょっちゅうで、私が覚えているのは幼稚園の頃に私が話しかけても、祖母は無視で、一体私が何をしたのか?よくわからなかったのですが、ただ祖母のそうした態度から「私が何か悪いことをしたから祖母は怒って無視しているんだ」と自分を責めた記憶があります。
人の陰口、悪口を常に言ってるような祖母でした。
そうした環境から、私は常に家の中の空気を読み、大人の顔色を窺う子供になりました。
なるべく祖母を怒らせないように・・・。機嫌を損ねないように・・・。
まさに社会心理学者で、テレフォン人生相談で有名な加藤諦三先生の言われている「親子の逆転現象」の中、私は育っていきました。